【完全ガイド】オランダの認知症ケア「ホグウェイ」に学ぶ、日本の現場で今日からできる”管理しない介護”の実践法

序章：なぜ今、日本の介護現場で「ホグウェイ」を学ぶ意味があるのか？

はじめまして！ 介護福祉士の「やなぎ」と申します。
普段は特別養護老人ホーム（特養）で主任として働きながら、介護とITを組み合わせて現場を少しでもラクにできないか、日々奮闘しています。

僕が介護の仕事をする中で、ずっと頭を悩ませてきた大きな壁があります。
それは「安全のための管理」と「その人らしい生活を送るための自立支援」のバランスです。

「転んだら危ないから、あまり歩かせない方が…」
「誤嚥したら大変だから、食事形態は刻みに…」

現場では、良かれと思ってやったことが、結果的にご本人の楽しみや能力を奪ってしまう場面が少なくありません。

「本当にこれでいいんだろうか…？」

そんな答えのない問いを抱えながら、ヒントを探し求めていたときに出会ったのが、オランダの「ホグウェイ村」でした。 そこは、僕が抱えていた悩みを、まったく違う視点から解決してくれる、まさに目からウロコの場所だったんです。

この記事を読めば、あなたは…

• 認知症ケアの最先端「ホグウェイ」がどんな場所で、なぜ世界中から注目されているのか、その本質がわかります。
• “管理しない介護”を支える具体的な仕組みと、日本の現場で実践するためのヒントが手に入ります。
• 介護の未来は、誰かが変えてくれるのを待つのではなく、私たち現場の一人ひとりの小さな選択の積み重ねで創り出せるという、揺るぎない確信が持てるはずです。

第1章：ホグウェイの核心：”管理しない介護”を支える7つのライフスタイル

ホグウェイ村（正式名称：デ・ホーヘ・ヴェイク）は、私たちがイメージするような「介護施設」ではありません。 そこは文字通り、認知症の人々が暮らすための一つの「村」なんです。

その核心は、「認知症になっても、人生の最後まで“普通”の暮らしを続ける」ということを、徹底的に追求している点にあります。

その象徴が、入居者の過去のライフスタイルに合わせて選べる7つのカテゴリーの「家」です。

ホグウェイ村には20数棟の家があり、6〜8人の住民がそれぞれ一つの家で共同生活を送っています。驚くべきは、これらの家が、入居者の人生背景に合わせて7つのスタイルに分けられていることです。

• 都会派スタイル： 都会的な生活を好み、外食やショッピングを楽しんできた人向けの洗練された空間。
• 家庭的スタイル： 家事や家族との時間を大切にしてきた人向けの、温かく家庭的な雰囲気。
• 芸術派スタイル： 音楽や絵画、演劇などの文化活動に親しんできた人向け。
• 職人スタイル： 手仕事や伝統を重んじる、質実剛健な暮らし。
• その他： キリスト教徒向け、インドネシア（旧オランダ領）出身者向けなど、多様な価値観に対応。

入居者は、自分が最も「しっくりくる」と感じるスタイルの家を選ぶことができます。 内装や食事のメニュー、日々の過ごし方まで、そのライフスタイルに合わせてデザインされているため、新しい環境へのストレスが少なく、まるで長年住んだ我が家のように安心して過ごせるのです。

これは、「一人ひとりの人生の歴史、つまりアイデンティティを尊重する」という、ホグウェイの哲学が最も色濃く表れている部分と言えるでしょう。

第2章：認知症の人の笑顔を引き出す「3つの魔法の仕掛け」

ホグウェイの成功は「魔法」ではなく「緻密な設計」の賜物です。
その奇跡を支えているのは、大きく分けて「環境」「人」「哲学」という3つの仕掛けです。

【仕掛け1：環境】空間が心を癒す。「何となく落ち着く」を科学する環境デザイン

ホグウェイの「村」という環境は、単なるテーマパークのような模倣ではありません。
そこには、認知症の方の心を穏やかにし、持てる能力を最大限に引き出すための、科学的な工夫が満載です。

• 探索を促す小道： 村の道はわざと少しだけ複雑に、でも必ず中央広場に戻ってこられるように設計されています。角を曲がるたびに違う景色が見えることが、脳に適度な刺激を与え、「自分で探索している」という主体的な楽しみを生みます。
• 自己決定の機会： 「今日はあっちのベンチに座ろうか」「カフェでお茶にしようか」。そんな小さな「選べる」自由の積み重ねが、「自分は自分の人生の主人公である」という自己肯定感を育みます。
• 本物の街並み： スーパー、レストラン、カフェ、美容院、劇場までが軒を連ね、自由に利用できます。この「普通の街並み」が、見当識をサポートし、社会との繋がりを維持し、孤独感を和らげるのです。

【仕掛け2：人】介護士は「名優」であれ。専門性を隠し持つ“隣人”のスキル

ホグウェイのスタッフは、単なる「優しいお隣さん」ではありません。
彼らは、認知症ケアに関する深い知識と技術を持ちながらも、それを決してひけらかさず、住民一人ひとりの物語に寄り添う「名優」のような存在です。

• パーソン・センタード・ケア： 病気の症状（できなくなったこと）ではなく、その人自身の人生、価値観、願いに焦点を当て、対話を通じてその人だけの「正解」を探し続けます。
• 介入しない勇気： 少しおぼつかない手つきで上着のボタンを留めようとしている時、手伝えば5秒で終わります。しかし、本人がやり遂げるまで、あるいは助けを求めるまでは、ただ静かに、にこやかに見守る。この「待つ」という行為こそが、本人の「まだできる」という自信と尊厳を守るのです。

【仕掛け3：哲学】「尊厳あるリスク」を許容する文化

ホグウェイのケアを根底から支えているのが、「尊厳あるリスク」という考え方です。 これは、「本人が望む生き方を実現するためなら、ある程度のリスクは、本人の尊厳を守るために許容されるべきだ」という哲学です。

もちろん、命に関わるような重大なリスクは徹底的に排除されます。しかし、「少し転ぶかもしれないけれど、自分の足で散歩したい」という願いがあるなら、その挑戦を尊重する。失敗する可能性よりも、挑戦する権利そのものを大切にするのです。

この哲学があるからこそ、スタッフは過剰な管理から解放され、住民は「普通の暮らし」を取り戻すことができるのです。

第3章：理想と現実のギャップ：日本での実践を阻む「3つの壁」

ホグウェイの理念は素晴らしい。
しかし、日本の現場で実践しようとすると、高く分厚い「壁」が立ちはだかります。

【壁1：制度の壁】安全第一が生む不自由

「居室は個室でなければならない」「介護職員と利用者の比率は3:1以上」といった基準は、利用者の安全とプライバシーを守るために作られました。
しかし、その基準がホグウェイのような、複数の入居者がリビングを共有し、スタッフが柔軟に動く「家庭的なケア」の実現を、結果として阻んでいる側面はないでしょうか。

【壁2：文化の壁】「失敗は許されない」という空気

これが最も根深く、厄介な壁かもしれません。

「失敗は許されない」
「転倒は、施設の責任問題である」

という過剰なまでの安全志向。
そして、何かあった時に家族や行政から厳しく追及されることを恐れるあまり、挑戦する前から諦めてしまう現場の「空気」。
この見えない壁が、スタッフ一人ひとりの「もっと良くしたい」という熱意を蝕んでいきます。

【壁3：倫理的な壁】「優しい嘘」は許されるのか？

ホグウェイ自身が抱えるジレンマにも向き合う必要があります。
最も大きな批判の一つに、「作られた村は、本人を尊重しているように見えて、実は“優しい嘘”で欺いているのではないか？」という問いがあります。
本人は自由に買い物をしているつもりでも、実は店員は専門職で、お金のやり取りも形式だけ…
これは、本人の自己決定権を本当に尊重していると言えるのか。
この問いに絶対的な正解はありません。
しかし、この「影」を議論すること自体が、私たちのケアを深化させてくれるはずです。

第4章：私たちの現場で始める「小さな革命」〜明日からできる実践アイデア集〜

ホグウェイを丸ごと真似ることはできません。
しかし、その成功の「種」を私たちの畑で育て、私たちだけの新しい花を咲かせることはできます。

【アイデア1】「介入しない」を5分だけ試してみる

食事介助の時、着替えの時、あと5分だけ待ってみませんか？「まだ自分で食べられる部分はないか」「自分で着られるボタンはないか」。その5分が、本人の残存能力を引き出す「魔法の時間」になるかもしれません。

【アイデア2】「管理語」を「翻訳」してみる

「〇〇さんは、本日排便ありませんでした」→「〇〇さんは、今日はお腹が張っているご様子でした」 「オムツ交換」→「下着を交換しましょうか」 言葉が変われば、意識が変わります。意識が変われば、ケアが変わります。

【アイデア3】「小さな自己決定」の機会をデザインする

「今日のおやつの飲み物、コーヒーと紅茶、どちらがいいですか？」 「お散歩、AコースとBコース、どっちに行きましょうか？」 どんなに小さなことでも、自分で選べるという体験が、その人らしさを支えます。

終章：介護の未来は、誰かが作るものではなく、私たちの手の中にある

ホグウェイの旅を通じて、僕が最も強く感じたこと。
それは、介護の未来は、どこかの偉い人が作るものでも、画期的な制度が解決してくれるものでもない、ということです。

未来は、目の前の一人ひとりと向き合う私たち現場の介護職が、日々の小さな選択を、諦めずに、粘り強く積み重ねた先に、初めて姿を現します。

この記事が、あなたの現場で「小さな革命」を起こす、その一歩を踏み出すきっかけになれたなら、これほど嬉しいことはありません。

さあ、理想の地図を手に、僕たちの「畑」を耕し始めましょう。